【38歳で独立】会社員を辞めて法人設立!僕が選んだ「半会社員」で生きるリアルな戦略


さくちょ
副業での発信活動が軌道に乗り、少しずつ自信がついてきた。
「このままいけば、いつかは独立できるかもしれない…」
そんな淡い期待を胸に抱きながらも、心のどこかでブレーキを踏んでいる自分がいませんか?
会社員という安定した立場、毎月振り込まれる給料、家族との生活。
これらを手放すことへの恐怖は、想像以上に大きいものです。
- 「独立したい。でも、失敗したらどうしよう…」
- 「家族を路頭に迷わせるわけにはいかない…」
一人でコンテンツを作っていると、胸に渦巻く漠然としたドス黒い不安が、ずーっとつきまといます。
僕も、ずっとそうでした。
ですが、僕はこの道に本格的に進んでいく覚悟を決め、38歳になる年の年末に、長年勤めた会社に退職届を提出しました。
今回は、38歳の僕が下した「独立」という決断と、その裏側にあるリアルな戦略について、包み隠さずお話ししたいと思います。
管理職の打診を断り、退職を決意した日

僕が38歳になる年の年末のことです。
勤め先の上司から、管理職への昇進を打診されました。
会社員としてキャリアを積んでいけば、ごく自然なステップアップかもしれません。
でも、僕の心は晴れませんでした。
なぜなら、ずいぶん前から「管理職になってまで、この会社にいる自分」を想像できなかったからです。
会社員人生のゴールが見えてしまった瞬間
管理職になれば、責任は重くなり、自分の時間はさらに奪われる。
会社の歯車として、より深く組み込まれていく未来。
それは、僕が望む生き方ではありませんでした。
「会社に依存しない生き方」を情報発信で伝えながら、自分自身が会社に縛られていては、誰の心にも響かない。
この打診を受けたとき、会社員としての僕のキャリアの終着点が、ハッキリと見えた気がしました。
「いよいよタイミングが来たか」
奇しくもその頃、僕が4年間育ててきた副業は、本業の収入を大きく超える規模にまで成長していました。
これまで僕が推奨してきた、
- 自分軸ブログ
- コンテンツ販売
- 独自プラットフォームによる自動化
この3ステップを、まさに僕自身が通ってきた道です。
過去の自分が作ったブログ記事やコンテンツが、未来の自分を支えてくれる「無形資産」になることを、身をもって体感していました。
管理職の打診と、副業のスケール。
この二つが重なったとき、僕の中でカチッと音がしました。
「いよいよ、タイミングが来たか」
不安がゼロだったわけではありません。
でも、それ以上に、自分の人生の舵を自分で切ることへのワクワクが勝っていました。
僕が選んだ「全振りしない」独立という道

退職を決意した僕は、2025年4月1日に法人を設立し、同年5月12日に退職届を提出しました。
しかし、僕はよくある「退路を断って独立!」というような、ドラマティックな道を選んだわけではありません。
むしろ、その逆です。
アラフォーで家庭を持つ僕が選んだのは、リスクを限りなく分散させた、現実的な独立戦略でした。
なぜ完全独立しなかったのか?
「副業が本業を超えたなら、さっさと辞めて専念した方がスケールするのでは?」
そう思う方もいるかもしれません。
確かにそれも一つの正解でしょう。
でも、僕には守るべき家族がいます。
無謀なリスクを取って、家族を不安にさせるわけにはいきません。
だからこそ、僕は正しい「地図」を握りしめて、着実に進む道を選びました。
会社員のメリットを最大限に活かしながら、いつでも挑戦できる自由な状態を作る。
それが僕の理想でした。
「半会社員」という新しい働き方
退職の意向を伝えたとき、会社から思わぬ提案を受けました。
「君のスキルと知識、経験を手放すのは惜しい。業務委託として力を貸してくれないか」
このオファーは、僕にとってまさに渡りに船でした。
結果として僕は、
- 月の3分の1程度の勤務(週1〜2日出社)
- 責任は軽減されるが、安定した収入は確保
- 元会社からの仕事は、自分の法人の売上として計上できる
という、「半会社員」とでも言うべき、ハイブリッドな働き方を手に入れたのです。
完全に情報発信だけに全振りするのではなく、二足のわらじを履き続ける。
これ、結構面白い生き方になるんじゃないかな、と思っています。
創業1年目から信用を築く「真面目経営」
この選択がもたらすメリットは、お金だけではありません。
創業1年目から、地元では大手の企業である元会社から仕事をもらえるということは、大きな「信用」に繋がります。
僕が設立した法人のモットーは、「すごい真っ当なことを、絶対にやっていく」です。
何か裏技的なことをやるとか、人様に胸を張って言えないようなことは絶対にしない。
自分が幸せになり、僕に関わってくれる周りの人も幸せにする。
その理念を実現するためにも、この「信用」は何よりの武器になると確信しています。
一番の不安だった「家族の理解」

独立する上で、多くの方が壁にぶつかるのが「家族の理解」ではないでしょうか。
僕も、両親に報告するまでは、正直かなり緊張しました。
経営者経験のない、真面目なサラリーマンだった父と心配性な母。
反対されることも覚悟していました。
しかし、二人の反応は、僕の予想を完全に裏切るものでした。
反対されなかった、たった一つの理由
父は、僕の話を静かに聞いた後、こう言いました。
「お前がそこまで考えて決めたことなら、応援する。すごくいい選択を取ったね」
母も、全く同じでした。
「あなたが決めたなら、大丈夫でしょう」
なぜ、彼らは全く反対しなかったのか。
それはきっと、僕がこの4年間、副業に真摯に向き合い、本業もないがしろにせず、コツコツと結果を積み重ねてきた姿を見ていてくれたからだと思います。
口先だけでなく、行動で示し続ける。
普段からの信頼関係こそが、いざという時に自分を助けてくれる盾になるのだと、心の底から感じました。
本当にありがたいことです。
まとめ

38歳、会社員人生に別れを告げ、僕は新しいステージに進みます。
管理職の道を断り、完全独立でもない「半会社員」として法人を経営する。
それは、僕が家族や自分自身の人生と向き合い、考え抜いて出した「今の最適解」です。
- 管理職の打診をきっかけに、自分の望む生き方を再確認した
- 完全独立ではなく、業務委託を活用した「半会社員」というリスク分散型の道を選んだ
- 普段から真摯な姿勢で行動し続けた結果、一番の不安だった家族の理解を得られた
この記事を読んでいるあなたも、もしかしたら過去の僕と同じように、漠然とした不安の中で、次の一歩をためらっているかもしれません。
人生を変えるときには、必ず痛みが伴います。
周りから理解されない痛み。
未来が見えない不安。
でも、その痛みの先にしか、僕たちの望む未来はありません。
僕の挑戦も、まだ始まったばかりです。
その痛みに負けずに、今日も一歩、一緒に前に進みましょう。