年商億超え起業家たちとの会食で、僕がメンタルを落とした話


さくちょ
こんにちは、さくちょです。
僕はコンテンツクリエイター支援の専門家として、「オンラインで "自動的に" コンテンツが売れる仕組み」を提案・構築しており、
- Udemyベストセラー講師
- Kindleベストセラー作家
- オンラインビジネス自動化の専門家
などをメインに活動し、脱サラ→起業1年目から月100万円を自動化しています。
先日、東京・有楽町で開催された、年商億超えの起業家・経営者も集まるハイレベルな会食に参加してきました。


今回はいきなりお声がけいただいたので、札幌在住の僕は航空券やホテルの手配、そして突然の出費に正直少し戸惑いました。。

ですが、それ以上にこういう会食には参加する価値があることを知っているので、今回も参加を決めたのです。
ただ、この記事では、そこで得られたビジネスの学びをお話しするわけではありません。
珍しく、こういう会食に参加して、心がズゴーンと深く落ち込むような出来事があったからです。
多くの人が行き交う都会のど真ん中で、ふと孤独を感じてしまう…
そんな感覚によく似ているかもしれません。
眠らない街・東京で感じた圧倒的な孤独感

その日、有楽町で行われた会食は、いつも仲良くしてくれる起業家たちと大いに盛り上がりました。
ホテルへの事前チェックインを忘れるほど、そして終電を逃すほど、深夜まで語り明かしました。
ホテルに深夜1時ごろ到着し、ベッドの上や部屋のお風呂でその日の出来事をぼーっと振り返っていると、気づけば時刻は深夜2:30を回っている。
僕が泊まった10階の部屋の窓から眠らない街・東京を見下ろすと、真下には首都高速が走っており、ひっきりなしに車が流れている。
近くの消防署から聞こえる救急車や消防車のサイレンが、部屋の中にまで響いてくる。
その日の学びをメモに残しておこうと思ったのですが…
どうしても気分が乗らない。
心がブルーな感じです。
こういう会食に行くと、どうしても集まる起業家たちがキラキラして見えてしまうんですよね。
僕よりぜんぜん年下なのに、一生遊んで暮らしていけるほどの資産を築いている人もいる。
そういう人に憧れて、これからビジネスを頑張ろうと目をキラキラ輝かせている人もいる。
副業やビジネスを始めたばかりの人から見れば、脱サラしてコンテンツビジネスの自動化で月100万以上を稼いでいる僕は「神みたいな存在です!」なんて言われることもあります。
自分では超・普通の凡人だと思っているので違和感しかありませんが、それは素直に嬉しいです。
ただ…。
そんな僕だとしても、どんなに頑張っても手の届きそうにないキラキラした世界を目の前の現実として見せつけられてしまうと…。
今の自分と彼らのステージをほぼ無意識に心の中で比べてしまい、ものすごく落ち込んでしまうのです。
客観的に見れば悪くないポジションにいるはずなのに、心のダメージを受けてしまう。
まったく皮肉な話ですよね。
キラキラした姿を見れば見るほど、自分のどす黒い心が浮き彫りになっていく。
なんだか切なくなって、寂しくなって、自分だけ世界から置いてけぼりにされるような…
そんな不思議な感覚に陥ってしまったのです。
SNSのキラキラは「錯覚」だと分かっていても

本かネットで目にしたのですが、アメリカの超優秀な大学の教授が「すべては錯覚である」と発言していました。
確かに、それも一理あると思います。
キラキラしてる起業家たちだって、会食の場ではしっかり着飾っているし、そこで話している会話だって綺麗な部分だけを切り取ってるかもしれない。
特にSNSの世界なんて、日常の上澄みだけ切り取って発信している人が9割以上でしょう。
- 「起業したら最高ですよ!」
- 「毎日自由でハッピーです!」
そんな表向き超元気な発信を見て、365日24時間キラキラしてるんだなと僕らは錯覚してしまう。
札幌から東京への移動による疲れなどもあったのでしょう。
エネルギーに満ち溢れているように「見えてしまう」彼らと自分自身を比べて、勝手に落ち込んでしまう。
錯覚だと頭では分かっていても、心がブルーになったのは事実でした。
この気持ちを誰かに打ち明けたくても、ここは喧騒に満ちた東京の街。
一歩外に出れば人はたくさんいるのに、僕のことを誰も知らない。
この圧倒的な孤独感。
家がある札幌に帰れば、妻が待っていてくれる。
話を聞いてくれる家族がいる。
どんなにお金を持っていたとしても、こういう人間関係の繋がりがなければ、真の幸せは得られないものです。
心に蓋をして生きていくのは、あまりにもツラすぎる

疲れと深夜だったこともあり、僕は感傷的な気持ちになっていました。
翌日、早めに羽田空港へ向かい、カフェでゆっくり小説を読んでいました。
凪良ゆうさんの『汝、星のごとく』です。

※本の書影はAmazonから引用しました
これで読むのは3回目になります。
文字の力が強すぎる小説は、時としてメンタルを深くえぐってきます。
前日の会食でブルーになった心に追い討ちをかけるように小説を読み、自らメンタルを落としにいく。
我ながら、意味が分かりません。
自由を求めて会社を辞め、人間関係に縛られない世界を手に入れたのに、なぜか自分だけ一人ぼっちな気がしてしまう。
上を見ればキリがない。
比べてしまえば、自分には何もないような気がしてしまう。
こういうとき、気軽に話せていた昔の友人に会いたくても、もう何年も彼らに連絡を取っていない。
「今さら自分なんかが連絡しても…」と勝手に思い込んでしまい、スマホをゆっくりポケットにしまい込む。
彼らはきっと今ごろ、普通の明るい家庭を築いているんだろう。
それに比べて僕は…
30代前半まで見栄を張って強がり、離婚・家族崩壊を経験して人生どん底に落ち…
家族も家もお金もぜんぶ失った状態から、ようやく自力で這い上がってきた。
それでも心のどこかで、まだ見栄を張りたい自分がいるのかもしれない。
いまだに、プライドが邪魔をしている。
だから、自分では到底たどり着けないステージにいるキラキラした人たちと、自分を比べて落ち込むのだろうと自己分析しています。
そして僕には、こういう寂しさや苦しさを誰かに相談したり、思いっきり号泣してスッキリしたり、ということができません。
「客の前で泣くなよ」と後輩を指導してしまった過去

僕が社会人6〜7年目のころ、下についた後輩があまりに仕事ができず、クライアントに激怒されたことを思い出しました。
そのクライアントは、後輩がつくった打合せ資料を千切りながらくしゃくしゃに丸め込み、僕らの目の前で後輩の顔面に向かって力一杯投げつけてきたのです。
あまりの恐怖に、僕の後輩はクライアントの目の前で号泣しました。
当時の僕は、
「いい大人なんだし、客の前で泣くなよ」
と彼を指導してしまいました。
僕の言ったことは、正論だったと思います。
…でも、あれから10年以上経ったいま、純白の正しさだけが正義じゃないと思うんですよね。
大人だって、泣きたければ泣いていい。
自分の心に蓋をして生きていくのは、あまりにもツラすぎる。
いい大人になっても自分の心を許してあげて、泣き顔を見せられる人が近くに一人でもいてくれるだけで、心はきっと救われるだろう。
そういう人間関係って、お金では決して買えません。
自分の心には、嘘はつけない。
そういうことを分かっていながら、いまだに僕は自分の心の蓋を、なかなか開けることができないのです。
だからこそ、僕は誰かが苦しんでいる時に、胸を貸せるそんな存在でありたいと、いま強く思います。
不安な感情を誘発する「トリガー」の正体

ここからは少しだけ、今回の僕の心の動きをロジカルに内省してみたいと思います。
不安な感情を誘発するトリガーは何だったのか?
結論、心身が疲れていて、心が鬱々しているときに、キラキラした世界に触れてしまうこと。
これが原因だと分かりました。
そして、知らず知らずのうちに、僕らはこれを何度も繰り返している。
対策はシンプルです。
- 心がちょっとブルーな時は、無理してキラキラした場に行かない
- キラキラしたSNSの投稿を見ない
- 見えているものは、ほぼ錯覚だと理解する
- ビジネス以外のリアルな世界も充実させる
…と、ロジカルに考えたところで、それすべてを超えてきて、理由もなく切なくなる夜だって誰にだってあるはずです。
そういう時は、感情のままに表現してしまえばいい。
僕みたいに心にあるモヤモヤを、バーっと文章に書き出してもいい。
カラオケで歌いまくって発散したりするのもいいでしょうね。
弱さをさらけ出す勇気が、あなたと誰かを救う

自分の心の内をこうしてさらけ出して書くのは、絶対にAIに代わられない、人間だけの行為だと思います。
こういうのを書くのは恥ずかしいし、自己開示してブログに書くのは、正直かなり勇気がいります。
僕のブランディングに傷がつくかもしれません。
でも、こうすることによって、
- 「自分だって同じことありますよ」
- 「さくちょさんも人間なんですね」
と共感してもらえたり、コメントをもらえたりすることで、僕の心はものすごく救われます。
そしてあなたも、この記事を読んで、
「自分だけの苦しみじゃないんだな」
と少しでも思ってくれたのなら、お互いに救われるんじゃないかと。
―そう思って、今回ブログに書いてみました。
もし、あなたが最近辛い思いをしたり、泣きたくなるような出来事があったなら、一人で抱え込まずに、信頼できる誰かにその気持ちを打ち明けてみてください。
大人だって、泣きたければ泣いていい。
自分の心に蓋をして生きていくのは、あまりにもツラすぎますから。
いい大人になっても、自分の心を許してあげて、泣き顔を見せられる人が近くに一人でもいてくれるだけで、心はきっと救われるはずです。
取り留めのない文章でしたが、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。